死ぬかもしれない病気になったTの見舞いに行こうと試みるも、彼のオカンから『死ぬかもしれない人へのお見舞い心得三原則』等を言い渡される。 くだらねえコトを気にしたり、悩んだりしてる友人にときたま言っていたワタクシのありがたいおコトバも、もう使えなくなってしまった。 「そんなことどーでもい〜じゃん、死ぬよりマシじゃん」 「まったく他人事なんだからっ!」と友人達は息巻くが何でミーが怒られなければならないのかちっとも解せない。他人なんだから他人事で当たり前なのである。 死ぬのも他人事ではある。あるが、死ぬかもしれない人に向かって「死ぬよりマシだろ」とは、やっぱり言えない気がする。 Tのオカンの心得によると、病院では「顔色いいね、元気そうだね、大丈夫だよ」等、励ましのコトバをかけてはいけないそうである。だからと言って「顔色悪いね、元気ないね、絶対ダメだねこりゃ」等とは言ってはいけないのではなかろうかと、バカと言われて長い私でもわかる。 じゃあどうすればいいのか。脳みそで何かを考えながら会話をするなんて、『思いつきで動く』をモットーにしてきた私にはとても出来ない。 じゃあなにか?お祭りで金魚すくいのババアとケンカしたこととか、最近ヤッたスゲエファックについてとか、なんで海が青いのかアンタ、知ってんの?クールバスクリンじゃあないんだよ、とか、そう言ったフツーの会話をすればいいっつーの? いやいやそれはなんかこうわざっとたらしくはないでしょうか。 こうなったらじーっと黙っているほかないような気もする。 いや待て、この私が黙りこくる?んーそれはまるでTに死の宣告(FFのやりすぎだろうか)をしているように見えないか。ますますTの頭がグルングルンになりはしないか。 だったらいっそのこと、見舞いになんか行かない方がいいような気もしてきた。 たとえばベランダを縦横無尽に暴れまくるミッキーズ(鼠族)に比べりゃあ、私は死ぬのは怖くはない。怖くはないが、死にたくはないのである。前にも書いたが、地を這いつくばってでも、ギャアギャア泣き叫んででも、世界中でひとりぼっちになってもいい。火星人に地球をのっとられても私は命乞いをする。必死でする。生きのびるためなら、あの黒板を爪でキーッとやる音を、ウオークマンで一日中聞いてもいい。 そしてTにもまた、私のこの心意気を伝えなければ。なんとなく、そう思った。 7月22日?曜日 あっという間にi-modeにも飽きた。 中学の時、「続くかどうかは問題ではない。やろうという気持ちが大切なのです」と担任の宮坂がオカンをなだめるようにいつも言っていたのを私は忘れない。 自分にとって都合のいい言葉と言うのはいつまでもいつまでもココロに残る。 「もう二度としません」 悪行のあとに、私は必ずそう言ったが、そのとき私は本当にそう思っていたのかそうではないのかはすっかり忘れてしまった。そして必ず宮坂は 「君を信じよう」 とドラマのようなセリフを言うのだが、本当にそう思っていたかどうかは私には一生わからないだろう。それがよっぽど気に入っていたのか色紙にも同じ文句を書いていた。 そういやあ、宮坂はいつもタンバリンを持っていて、廊下を歩くときに太股あたりでたたきながら歩いていた。 「ハイ宮坂ですよー宮坂が通りますよーもうすぐ宮坂が近づきますよー」 と知らせているつもりなのか、タンバリンなしでは歩けない体質なのか、それもまた私にはわからないのである。 わかったところでどーってことない。世の中はそんなことで充満している。 7月20日?曜日 野外にて、ニンジンのかわりに指三本ざっくりと。 流血カレーはうまいと評判だったが 「キミ血液型何型?ぼくB型なんだけど、このカレー食べて大丈夫かなあ」ってちょっとアンタ、それどーゆー意味? 負傷時のファックはけっこうエキサイティングしかもカレーの隠し味。 7月15日?曜日 チャリンコは引き返すのが大変。走って二時間目にハタと気付いたのは早かったのかそれとも遅かったのか。 そんなことはもうどうでもいい。私はゲロッた。しかも走りながら。 そこは未知の世界に見えた。私は遠くからチャリでやってきた錯覚に落ちて落ちこんだ。 チャリゲロ。まあ語呂がいいから救いようはある。と、今日も前向きに。 7月8日?曜日 おふくろの味アンケートで、どん底に暗いミーの過去がよみがえった。 オカンの料理。それは確かに美味い。うまいが私の脳みそが、この舌が、そして細胞の全てがそれを拒絶するのである。そして弁当になるともーぜったいイヤアアー。 小学校の頃、給食センターの改築かなんかで一時期おべんとうを持って行っていた。毎日毎日バラエティーに富んだメニュー、ソソる色彩。しかしその制作時間は約4時間。深夜4時頃戦闘準備にかかるオカン、「間に合わないっ間に合わないッ!」と幼い私はまっくらけの早朝にたたき起こされノリを細かく切ったりタマゴをかき混ぜることを要請された。そして朝食も食べずにヘロヘロになりながら登校するのである。 卒業した私はもう二度とあのキチガイに弁当を作らせなかった。 中学では近所のヤマザキでカップラーメンを食べていたし、高校では、友達の弁当はもちろん、八代食堂でゴキブリ入り肉豆腐にイチャモンつけたり、寿司屋で「お宅の娘さんと親友なんですよー」と大ボラふいてタダ食いしたがまあそれは長くは続かなかった。 私のPファンカーなヘアをなでながら、 「お料理の上手なお母さんでアソビちゃん幸せね」 上福元先生はそう言ったが、私は無言のままヘビをも殺すと言われた殺人ビームで先生をじーっと睨み続けた。そして先生はもう何も言わなかったし私の頭をなでることもなかった。 7月6日?曜日 見晴らしのいい道路を車でかっ飛ばしていたら遠くにオッサンが歩いている。当社比ではオッサンはファック対象外なのだが、まあふたりっきりで無人島に5年もいれば私のことだからどうなるかわからない。......とそんなことはどうでもいいのだが、私はなぜかスピードを落とし色メガネのオッサンに注目したのである。 なぜオッサンに注目したのか自分でもわからない。なんかヘンなのだ。どこが変かわからないけどとにかくヘンなのだ。でもどこが変かわかんない。なんで?脳みその中はそんな自問自答を繰り返し、私はその色メガネに近づいた。 通りすぎた瞬間、思いきりブレーキを踏んだ。オッサンはなんと後ろに向かって後ずさりする形で歩いていたのである。しかもまあーすました顔で! ちょっと待った! それは私の専売特許ではないか!デパートとかでこれをやるとババアとかがそりゃーもー異星人でも見るような顔で一瞥し、そのあと何も見なかったように目をそらし小走りになるボクの必殺ワザ! でもシカトされるとスゲエ悲しいんだよね。 私の動揺は、車のスピードをゆるめたことで明らかにオッサンに伝わってしまっただろう。くっそー!きっとココロの中で嘲笑っているに違いない。 私は不覚にもブレーキを踏んだことを深く深く反省し、自分の頭をボカボカと殴りたい心境に駆られながら、でもそんなマンガみたいな事はするはずもなく、バックミラーでオッサンを悔しげにジーッと見ていたのである。 しばらくするとオッサンはフツーに前進した。 くっそーッ! 7月8日?曜日 誰も信じてくれないだろう出来事がまた私に襲いかかる。もう誰も信じてくれないのは慣れているのであえて書く。そう書きながらも私は密かに希望を捨ててはいない。 この世のどこかに私を信じてくれる人がいる、白いお皿にモリモリウ○コをのっけて 「さあ一晩ねかせた熟カレーよ」 と言っても微塵も疑わずキレイさっぱり食べてくれる人が。そんな人のために今日も私は書くのである。なぜか身の引き締まる思いがする。 さっき顔にずーっとシャワーかけてたら溺れそうになった。 1分くらいでジャーとかけ、腕が疲れたためかそのまま下の方へ移動。鼻の穴に直撃した時点でパニックになりなぜかシャワーを手放すことが出来ずゴボゴボと飲んでしまった。 疑ってんならやって見ろ!黄金水でもザーメンでもいいからとにかくやって見ろ!鼻の穴だぞ鼻の穴!<ヤツアタリ 7月5日?曜日 私が本家サイトを立ち上げたときのコーフン度と、今回のi-modeバージョンサイト開設のコーフン度はどちらが強力か考えてみた。 自分でもよくわからないのでミーの敵でありペットであるアライグマ「ジャミラ」に聞いてみたがヤツはただただコーフンしているだけで何もわからなかった。 でもそんなのがわかったところでミーは何のトクもしないと気付いた。トクじゃないことはキライ。でもイミのないことはスキなの。 7月4日?曜日 大雨が降り、カミナリが鳴り響くとベランダに出たくなる。なんでかわからないけど、素っ裸に近いカッコで大暴れする空を見上げたくなる。 私はしっかりと目を開けてバチバチと入ってくる雨粒をうけながら、ココロの中で『どーだっ!』とシャウトする。誰に対して『どーだっ』なのかは私にもわからない。 私は人が言うほど自分のことをバカだとは思わないが、こんなときは(やっぱりそうかもしれない)と、ちょっとだけ思う。 7月3日?曜日 『障害がある恋愛は燃える』と言う。実にくだらないと思っていたが、制限があるサイトづくりというのはけっこう楽しいと思ってしまった。 こういうことだろうか。 ちと違うだろう。 7月2日?曜日 昨日i-mode購入して今日サイトUPとは我ながら早業。 しかしたまった仕事に取りかかるのはナメクジよりも遅く。 でも手は早いの。 i-modeバージョンは、表サイトより過激度がかなり低い出来映え。 やっぱクレイジー度を上げるにはそれなりに(文字数)が必要と言うことです。何事も楽じゃありません。 でもi-modeは便利だった。ちょっとくやしい。 |
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