子孫繁栄(その動物的本能) 生物の全ては、よりよい祖先を残そうと必死に羽根を広げたり(クジャクの場合)、角をぶつけあったり(カモシカの場合)、いい男と浮気をしてダンナには自分の子だと信じ込ませたり(ツバメの場合)している。 そして私も生物の一種として、いい男を見ると、 「この人の子供が欲しい!」 とすぐ思ってしまう。 これはあくまでも動物的本能であり、 ヤらしいだの淫乱だのと言われる筋合いはない。(とくにコレステロールなんかに) そんなアニマル感覚に優れたワタクシでも、 「アンタの子供が欲しい」 とは直接言わないところが文明人である。 そもそも初めて会った女に、そんなことを言われてヨロコブ男は別の意味でかなりヤバイではないか。 ストレートには言わないが、それに必要な行為を求める発言はするのでこれがまた淫乱と言われる所以かもしれないがとにかく遺憾である。 さて、頭をなでられるのは、胸やお尻をなでられるのよりずっとずっと気持ちいいと言うことを世の中の男どもは知っているのだろうか。 そんなツボを心得た男の子がいたら、あの直感が働かなくても、つい景気よく洋服を脱いでしまうのは仕方のないことです。 だってワタシ、感情の動物、ホモサピエンスですもの。 できるもんならやってみな(10円の巻) うふふ、ホワイトデーでした。 今のご時世パーな男の子が多くて、モノもセットで、いったいどっちがオマケだかワケわかんない。 ティファニーあたりのシルバーネックレスくれるヤツ、イヤですね。原価1000円ですよ、あんなの。 「いいや、ティファニーなんだから。一番安いやつで。ヤらせてくれるかわかんねえし」 ってな感じでしょうか。ティファニーだからなんでもいい、それがムカつくでショ。心意気ってのがありません。 ティファニー最新コレクションとしてウンコをモチーフにペンダントなんか作ったりしても、パー女どもは飛びついちゃうんでしょうね、きっと。 「キャー!キャワイー」 とかなんとか言って、隣のパー男は腕を組みながら 「う〜ん、言われてみればこの辺の歪んだラインがザンシンだね」 とか言ってみたりして。 二人とも、まさかウンコがモチーフだとは知らねえーの。あーおかしー!想像しただけで笑っちゃう。ザンシンかよっ!ウンコだよウンコ! そもそもアクセサリーの類いを買っちゃうコト、その事態をどのようにお考えなんでしょうか。日本男児としてどうでしょうか。 店員に「イヤだわ、この人オカマかしら」とか思われてもいいんですかね。 まあアクセサリーは百歩譲っても女モンの下着、あれはどういうつもりでしょうか。トチ狂ったとしか思えません。ランジェリーショップの姉ちゃんに 「プレゼント用ですか?リボンは何色になさいますかあ〜」 とか聞かれるんですよ。どーすんの? 1:「んじゃあそのショッキングピンクのリボンで」 2:「いえ、領収書下さい」 3:「自分のですからいいです」 ホラ、どっちにしても大マヌケ。 そもそもその下着を女が着けてきてくれたらウレシイんですかね。 「おっ?今日は俺が買ったヤツ着けてきたな……ふっふっふ……ヨッシャー!」 といきなりビンビンになるんでしょうか。バッカみたい。自分の頭にでもかぶせとけっての。 なんだかトゲトゲしい今日の日記、本命から音沙汰がなかったのが原因でしょうか。そもそも34個も配ったのがマズかったのか。 その昔、ホワイトデーのお返しを何がなんでももらおうと試行錯誤したことがある。 ターゲットの男の子は他の女の子からも沢山もらっているので、とにかく一緒にいなければヤバイ。しかしいきなり「ウチに来て」は見え見えだし、「ヤリに来て」と言ってるのとおんなじではないか。 まだつきあってもなかったのである。 で、いやがる友人をさんざん脅してホームパーティを開くことにした。今思い起こしても我ながらいいアイデアだ。 途中、それぞれが彼女に『お返し』をあげたのに、私の大好きな男の子は「忘れた」と言って何もくれない。 しかし、朝方みんなが帰る時、男の子は黄色の紙に包まれた小さな箱をポケットから出して私にくれた。 私はもう下の階のババアから苦情が来るほど大げさにおおげさに、コレが他人ならけっ飛ばしたくなるほどオーバーアクションでよろこんで 「なに、なに?開けてもいい?」 「ダメ」 (なんだろーこの箱の大きさから言って指輪かなー) 静かになった部屋で、開けた小さな箱の中味は駄菓子屋で買った10円のコーラ飴ひとつだった。 今まででこれほどカッチョいいホワイトデーのお返しをもらったコトはない。 女モンの下着や、宝石、花束を買いあさる不感症男にはとうてい出来ない芸当なのである。ザマーミロッ! おまえと貴様とアンタとわたし まるっきり人見知りしない(強いて言えばなれなれしい、さらに言えば厚かましい、もっと言うならとんでもない)と思われている私でも、実はビミョウなセンがある。 この前気付いたのだが、そのボーダーラインは「アンタ」だ。 私の『なれなれ度』は、アンタと言う言葉ではかられる。勘違いしないように言っておくが『ヌレヌレ度』ではない。 「ねえ、ちょっとあんたぁ」 と、場末のバーの姉ちゃんが男に呼びかけるように使用するのとも違う。会話の途中でのことだ。 この「アンタ」、関西から西にかけては意外とポピュラーな気もするが、関東では受け入れられにくい。 ずいぶん前の話しだが 「アンタだって〜って言ってたじゃん」 てなことを言ったら、相手がその言葉に過剰に反応し 「アンタってなによっ!」 と、言いだすので 「アンタってなによってなによアンタ」 と言い返した。 「アンタってなによってなによってなによアンタ」 「アンタってなによってなによってなによってなによアンタ」 と、つまらないコントのような世界を展開したこともあるし、つきあっていた男に 「人前でアンタって言うのやめてくれない?」 と言われたこともある。私は密かに、チンコも小さいけど器もちっさい男だなって思ったものだ。 私の友人、通称『センベー屋』(家がお煎餅屋なので)が七年間つきあっていた彼女は元レベッカのNOKKO似。 一見なかなかチャーミングな彼女は初対面の相手に対しても実に愛想のないゴーイングマイウエイな女の子であった。 『センベー屋』のコトを「おまえ」、 もしくは聞いて驚くな 「貴様」 と呼んでいた。 『センベー屋』のかあちゃんは、 「貴様って言うのは尊敬語なのよね」 と息子の名誉を必死こいて守ろうとしていたがそれがまたかえって痛々しい。 とにかく、私はこの件で無愛想なNOKKOをひどく気に入ってしまったのである。 これはどこかで書いたような気もするが、たとえばただの友達からタダならぬ関係(肉体関係含む彼氏彼女)になったとする。そして、今までは名字とかニックネームで呼んでいた相手をつきあいだしたからと言って急に名前で呼ぶ(呼ばれる)ことはものすごく恥ずかしいことだと私は思っている。 「ツチヤーッ!」 と呼んでいた男がヤッたとたん 「アソビ〜」 とか言いだすのである。悪寒が走る。 ある時、満員電車の中で彼女とはぐれてしまった『センベー屋』は、人々に押しつぶされながらも片腕をかすかに上げて 「おまえ〜おまえ〜おまえぇ〜」 と自分を探す彼女を発見したそうだ。 私はカンドーした。ドーカンもした。これほどまでに可愛く健気な女の子がこの世にいるであろうか。素晴らしいエピソードである。 二人はすったもんだした揚げ句に別れてしまった。彼女としては賢明だと思うが、人ごとながらちょっとだけ 「ちぇっ」 と言う気分になった。 七年間、「貴様」「おまえ」と呼び続けた彼女を愛した『センベー屋』、中学のとき突然年下に走った私にフラれて3日間泣き続けたと言われる『センベー屋』(母ちゃんが言っていた)、カンケーないけどご飯に牛乳をかけ184cmになった『センベー屋』(これも母ちゃん発)、ある意味、マニアックな男だと言うことでしょうか。 這ってでも生きていく 「A男がいなくなったら、私、生きていけない」 と、友達が言いだした。 「私、イケない」 とかならわからなくもない。 「私、イカじゃない」 だったらギャグにもならない。 だが私はイカが好きだ。今日も熱海から宅急便で送ってもらった塩辛を食べた。 まあそんなことはどうでもいいが、とにかくビックリした。 んじゃA男が死んだら、あんた首吊るんかい、えっ? と私が言うと思ったら大間違いだ。 虫だってひとりで生きられるご時世、こんな虫ケラ以下な相手は無視することにした私だが、ちょっと思い出したことがある。 大好きなばあちゃんと離されてしまった時、島根という小さな県に行くために20円を持って京王線の線路を果てしなく歩き続けた。 大好きな男が死んでしまった時、パーキングから彼が死んだ場所まで、高速道路を延々と歩いた。 大好きな人が死んでしまったら? 世界中の人間が消えてしまってジャングルに、もしくは砂漠のド真ん中にひとり取り残されたら? 私なら、どーする? 私はやっぱり、ムチャクチャな方法で歩くと思う。 電車や車に跳ね飛ばされるのも、トラに食い殺されるのも、ガラガラヘビに出くわすのも怖くはないが、私はきっとひとりになっても 「もう生きてはいけない」 とはぜったい思わない。地面に這いつくばってでも生きようとする。 それは醜いかも知れないが、かっこわるくはないはずだ。 あの時だってひとりで歩いた。 まあどっちも、おまわりさんに保護(獲?)されたからかっこ悪いんだけどサ。 ![]() |