食い物の恨み辛み

 今までで一番悔しかったことといえば、隣に住んでた姉ちゃんに楽しみにとっておいた桜餅を食べられたことだろう。
 中学生だった私は、あまりの悔しさに泣きながら階段をかけのぼり、部屋をメチャクチャにしようと思ったがそれでは私が片付けることになるではないかと一瞬のうちに思い止まり、また泣きながら猛ダッシュで階段を下りて、隣に怒鳴り込んで行った。
「さっき食った桜餅を吐け」
と発狂したのだが、なんと罪人はひらきなおって
「吐いても食べられないでしょ」
と言いだした。

「食べようと思えば食べられるけど気持ち悪いから食べない。しかし、そんな問題ではなくて吐けば私の気が済むからとにかく吐け」
 このような自分でもうっとりするほどの理に適った発言をしていた私だが、オカンに首根っこ取っ捕まれてどういうわけかオカンの方が泣きだしてしまったので、隣人の罪はうやむやになってしまったのだった。

 このように人知れず悲しい過去を持つ私だが、これを上回る悔しい事件が勃発したのでココに報告する。
 28日阿波踊り最終日の帰り、興奮さめやらぬバカどもはコレステロール宅で飲もうということになったのだが、
「これ以上こいつらと一緒に居るとバカがうつりそうでいやだなあ」
と思っていた私は、踊りを見物しに来ていた親戚の田舎もんとつるむフリをしてバカどもをうまくかわした。やっぱりバカだ。

 で、翌日の朝10時ごろ爆睡中の私のケータイがなり、見るとコレステロールからだったので無視。(あたりまえと言えばあたりまえ)

 それからの私はなんだかとりつかれたように。。。
先日購入したマシュマロブラのマシュマロ加減がえらく気に入ったので、『なんとしてでも今日は胸の大きくあいたワンピースを着てアンカケチャーハンを食べ、願わくば胸の谷間にネギの欠片かメンマなどをわざと落としてアピール、ついでに一緒に行く男も落としたい』などと思い、その洋服を買うために渋谷に向かうには、是が非でもオトンをとっつかまえていい年こいて金をせびらなければならず、とにかくそんなわけでオトンの店(床屋)へチャリンコをすっとばした。

 が、オトンはいなかった。ケータイも留守番サービスセンターのあの女。
 私は躍起になって支店やら彼が出没しそうなディスカウントショップを探したが見つからない。

 店の従業員ももうきっと私には金を貸してくれないだろう。
 なにしろ私が来るとどの店の従業員も警戒してレジ前に立ちはだかって動こうとしないのだ。ケチ。

 途方に暮れてる私のもとにベルが鳴った。
 慌てて受けたら昨日のバカ踊りの一味だった。
「なあに?今忙しいの。くだらない用なら切るけど」
「まあくだらないといえばくだらないんだけどサ……」
 一味が言うには、昨晩のコレステロール宅では近所の差し入れでアワビやらサザエがわんさか来て、大盤振る舞いだったらしい。
「アソビも来ればよかったのに」
 くだらない用ではなかった。これ以上の自慢がこの世にあるだろうか。しかも刺身にして食ったと言うのである。

 ことわっておくが、私はアワビとアソビの名が一字違いだということがなによりも誇りの女である。そしてどうせ死ぬなら、アワビの食い過ぎで死にたいほどのアワビ好きである。

「あっそう」
 悔し紛れにそれだけ言って電話を切った。それから速効でコレステロール宅にかけなおす。

「なんで呼んでくんなかったのっ!」
「なによ、食べると思ってとっといたんだけどさ、アンタが電話にでないから悪くなると思って食べちゃったよ」
「え……」

 私は電話を切った。そして静かに涙した。




近所のうわさで大きくなった!

池袋の通り魔事件を車の中で聞いた。
中学生の頃、近所の『ヘンバ』(変なババアの略)がクワを振りかざしながら追いかけてきたことがあって、 その恐怖がリアルによみがえった。

好きな男の子と学校に向かう途中だった。
鉄格子の門をマンガのヒーローみたいにシュワッって感じで飛び越えてきたヘンバを目撃したと同時に私は猛ダッシュをかました。

振り返ると、あともう少しで男の子が捕まれそうになっていて、私は
「ギャーッ!」
と悲鳴をあげるのだが、あとになって
「キャーッ!」
と言えばよかったと、たかがテンテン、されどテンテンの違いに少しだけ悔しい思いをしたのであった。

ところで、この男の子はバスケ部の部長をやっていて、かなりの俊足くんであった。
私はというとそれまでリレーの選手にも選ばれたこともない、かけっこの時は
「あっ!新井のおばちゃーん!こっちこっちー!」
などとギャラリーにニカニカと手を振るような闘争心の欠片もない、強いて言えば
「かわいそうにねえ」
と近所のババアに同情されるような学生であった。

しかし、そのヘンバの一件で、「あれ?」と思った私はその2年後には東京都で一番の俊足ちゃんになり、近所のババアに
「あの子、本当は男なんじゃないの?」
と噂されるまでに成長したのであった。

でもあの時の、『クルクルと回ったレールの上を走っているような宙に浮いた感覚』で走ったことはその後一度もないのである。
もちろんそのことは、近所のババアにはトップシークレットにしている。人は学ぶ。そして転ぶ。




ポエマーのよろこび

 『ただの歌詞じゃねえか、こんなもん』
とサザンの桑田も言っていたが、私も同様、メロ重視。
 しかし、日本で今一番気に入っている詩人は何をかくそうスチャダラパーである。

  猫だあ〜いすき〜
  かわいいから〜
  あと牛もスキ〜
  おいしいから〜

 どう?これ、グッとクるでしょ?

 小学校4年の担任『市川ひろし』先生は、ある日トートツに交換日記宣言をした。

 40人の生徒が個々にノートを提出、それに先生が軽くコメントをつけると言うカタチであった。

 しばらくは 『今日はおかあさんに怒られた』 だの、『今日は母上にたしなめられた』だの『今日はママにちくわとかまぼこを間違えて買ってきたくらいで包丁を突き付けられた』だの『今日はオカンに追いかけられて町内一周してしまった』『今日、母がとうとう発狂したので亀田のおばちゃんちに逃げ込んで助かった』などと、マジメに書いていたのだが、それにも飽きてきた。

「そうだっ詩を書こう。詩ならちょっとしか書かなくていいし、なによりもかっこいいではないか」
そこではじめて書いた詩を、今でもはっきり覚えている。

 タイトルは
 『おぼえていますか?いちごの森を』

 メルヘンチックで女の子らしくてポエムっぽい!
 とふるえがくるくらいカンドーしたのだが、なにしろそのアトが続かない。
 浮かぶものはすべて、『メルヘンチックで女の子らしくてポエムっぽく』なくなってしまうのだ。
 ひたすら考えたがどうしても出てこない。

 結局タイトルのみで提出。
 これではなんのことかわからないと思った私は、カッコしてポエムと書くのを忘れないサービス精神おう盛の射手座である。

 先生はさぞかし困ったのだろう、苦肉の策かヤケクソか、私にドでかい『花まる』をくださった。
 花まる大好き少女はその後3年間、しつこく日記を提出したのであった。

 いつもタバコの煙を教室に充満させていた市川先生、親指が鼻の穴にすっぽり入ること以外なんの取柄もないと思っていたが、思えば市川先生のおかげで今日の私がある。感謝しなければいけないのかどうなのか。
 定年、おめでとうございます。




暗い過去(人間不信と食べ物不審)

ここんとこトップシークレットの情報交換をかわしてるa嬢(小文字に注目)が疲労性ジンマ疹にかかったらしい。

そこで私は3日に一回程度の頻度で見る鏡を覗いて胸をなで下ろす。
「ああ、ウツクシイ……」
そう、私の顔面は美しいのである。あの時に比べれば。

あの日、私は肉体関係を結ぶと言う目的のためボーイフレンドの家にいた。
彼のじいさんが作った夕飯をごちそうになり、風呂にもはいっていささかニヤつきながら彼の部屋に向かった。
速攻でベッドに入ると(つーか足の踏み場がないほど汚い部屋で座れる場所はベッドしかなかった。決して焦っているワケではない。決して!)どういうわけか胸のあたりがゼイゼイする。
呼吸困難だ。
それでも一応は頑張ったのだがどうにも息苦しい。
この私がセックスを拒むくらいなのだからよほど苦しいのである。(自慢ではない)

「さあ眠ろう」
と思えば1分たらずで眠れる『野比のび太』のような私が、苦しくて眠れない。
そのうち鼻水が異常に出てきた。
目やにも出てきた。よだれまでは出なかった。

ボーイフレンドは、油断をするとすかさず眠ってしまうのでそのたびに私は顔をひっぱたいて起こさなければならなかった。
鼻をかみ、目を拭き、男をひっぱたく。
そんなことを繰り返しているうちに私は浅い眠りについた。外ではカラスが鳴きはじめていた。

1時間たらずで目が覚めた。正確に言うと意識だけは。
なにしろまぶたが開かない。
お……おかしい。

私は男をひっぱたくのを躊躇して、自分のバックから鏡をとりだした。

「は……はじめまして」
と言う勇気はなかったが、鏡に写った人物はまぎれもない初対面の自分。


私は顔面を両手でふさぎながら、脚で男を蹴りおこしてサングラスをかけ、病院に急いだ。
サングラスの奥からでも、このぶざまな表情はわかるのだろう。看護婦の配慮で、私は個室で診察を待った。
男はなんだか、しょげた私を見て嬉しそうだった。

幸運にも中年の女医であった。
サングラスをはずすと
「どーしたの、あなた、それ」
などと医者のクセして私に聞く。
「どーしてってこっちが聞きたいですよ、突然こうなっちゃったんだから」
聴診器をあてるために胸を開くと
「ああ、あなた、昨晩何か食べた?何かあたったのよ、サバか何か……」

そうだ、昨日じいさんが作ったわけのわからない魚の煮物、あれだ。間違いない。
キモチ悪いなあなどと思いながら、一口食べたアレ。

私の全身に、小さなブツブツが出ていた。
顔のインパクトで発疹まで気付かなかったのだ。

家に着いたと同時に、オカンは一瞬絶句したあと目を逸らしながらこう言った。
「あ……あら、カワイイじゃない。ぽっちゃりしてて、そのほうがいいわよ」
何を言ってるのかわかんなくなるほど彼女も狼狽しているのだろう。
「この顔が治らなかったら、整形代出してくれるよね?」
「う……うん……」
私は会社に連絡を入れ、無期限有給を申し出た。

それから何人かの友人にも電話してしばらく会えないことを伝えた。
もしかしたら一生会えないかも知れないからと同情を引くようなセリフも吐いた。
にもかかわらず、5人の友人が次々に家にやってきたのである。

私はオカンに「追い返せ」と確かに言ったが、彼女は喜々として人数分の夕飯まで作っている。
「わるいわねえ、たいしたことないんだけど……別に病気じゃないんだから。あ、そうだ、プーちゃんも来るのかしら。電話してみようかな」
純粋なお見舞いでないことは、皆がカメラ持参と言うことで明らかであった。
オカンを含め、わいわいと盛り上がっている隣の部屋で、私は必死に自分を奮い起たせていた。
「眠ったらかならず写真に撮られる」
そう確信していた。

そして、親を選べない悲しみと、こんな友達を選んでしまった自分のふがいなさに密かに涙していたのです。目やにかもしれませんが。




100円を捨てよう!

 あなたは自ら100円を捨てたことがあるか。
 なくしたとかではない、「捨てた」ことが。
 私には、ある。

 あの日の出来事を、私は忘れない。
 今から100円を捨てに行くヨロコビで、脳味噌がカニミソのようになってしまった。(ような気がした)心臓が右に左に上に下にとピンボールのように身体のなかを移動する。(ような気もした)さい銭箱に放り込むのとはワケが違うのだ。
 意味もなく、いや、意味はあるのだがやっぱりなく、とにかく捨てに行くこのカンドー、アナタに理解できるであろうか。

 当時、広告代理店にコピーライターとして在籍していた私は、今にも潰れそうなその会社を恐喝して、約半年間『広告学校』に通わせてもらっていた。
 糸井重里(コピーライター)氏の授業で、氏が
「今から100円をどこかに捨てに行ってください」
と、タバコの煙を吐くようにふんわかとおっしゃったのだ。
 本物の煙もほわほわと揺れていて、耳を疑った生徒も沢山いた。

「それでは今から10分以内に戻ってきて下さい。用意……はじめっ」

 ドドドドドッーと音を立てて、全員が席を立った。
 立ったままどうしていいかわからない女の子もいたような気がする。
 私は陸上で鍛えこんだ脚で、階段を二段ぬかししながら猛ダッシュをかまして外に出た。

 目の前にはライトアップされた東京タワーが私を見下ろしている。
 道路をわたって、タワーの下へ。
 息を切らして受付けのお姉ちゃんに言った。
「大人、一枚」
 私はエレベーターに乗り込み、222メートルの高さから(333mだっけ?)どうにか100円玉を投げ捨てられたら「かっちょいいっではないか」と、考えていたのだ。
 しかし、夢はあっさりと砕け散った。手ににぎりしめた銀色の玉、私はこれ以外にお金を持ってこなかったのである。
ガーンッ!
 エレベーターの往復時間を考えると、 今からお金を取りに行っても10分以内に教室に戻ることはぜったいに不可能だ。
 笑いを押し殺しているおネエちゃんに絡んでつっかかる余裕もなく、すっかり憔悴した私は、頭が真っ白けなまま走って校内のトイレに向かったのである。

 無事に到着したはいいが気だけがアセり、精神の安定を保とうと手足だけは動かしているのでヘタクソなダンスのようになってしまったが今は笑えない。(私はのちにこれをパニックダンスと命名した)

 トイレに入り、鍵をしめた。
 私はそこでなぜか条件反射のようにツンパを下ろして用を足してしまったのだ。
 自分のこととは言え、人間、非常事態になると何をしでかすか検討もつかない。
 またさらにワケのわからない行動に出た。日本人の血なのだろうか、便器の中にポチャンっと、100円を投げ入れてしまったのである。

 なむ〜……
 本来ならここで手を合わせて拝むところだろうがなんせ相手は黄金の水である。
 はっ!
 その底に沈んだ100円玉をじーっと凝視する私は血の気が引いていた。
「な……なんてことを……」
 しかしやっと、平常心を取り戻した(ような気がした)のも事実である。
 いや待て、東京タワーから華麗に身を投げるはずだった100円君、しかし、この現実はあまりにも私らしいではないか。
 私らしいと言う言葉にすっかり酔った私はもうすでにシラフではなかったのだろう。
「そうだ、ウンコもしてみよっかな……」
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 が、残念ながら(幸運にも)100円君はウンコまみれになることはなかった。
 そうして私は何食わぬ顔でドアを開け、晴ればれしい顔で教室にもどったのである。

 授業中かならず発言する年齢不詳のバンダナ君(いつも頭に黒いバンダナを巻いていた)が
「もったいないと思いましたがあとで拾える場所に捨てました」
などと1万円じゃあるまいしセコイことを言い、生徒の半数近くが「もったいなかった」と感想を述べた。
もったいなくてあとで拾いに行くなんて、なんてもったいないことをする人達であろうか。
 たとえ持ち金100円でも、私なら躊躇なく捨てる。

 ここまで生きてきて、なぜ自ら100円を捨てるコトがなかったのだろうかと苦々しく思ったほどである。
 「無意味な行動」をこよなく愛する私にとって、これはかなりの失点だ。
 この行為(100円を捨てること)は、けっして日課にするべきではないが一生に一度くらい経験してもいいはずだ。
 糸井氏には、『おいしい生活』と言う有名な作品があるが、本当においしい体験をさせてもらった。
 コピーライターのはしくれとして、人として、ムイミ行動促進会会長として、私はこの業界の第一人者である彼を、心底『スゲエ人』だと崇めたてまつったのである。

 『断固捨てなかった』と言う人も二人いた。両方とも女の子だった。
 「そんなことをしたらバチが当たると思います」
 と、鼻をふくらまして言っていたが何かの宗教でもやっているのだろうか。
 私の100円君のトイレでの惨劇を知ったらなんて言うだろう……。
 そう思うと、なにやら怒ったように発言した姿勢の正しい彼女を見ながら、私は笑いが止まらなかったのである。




ステキなステキなプレゼントを

 2月は友達の誕生日が多いので100円ショップに行く回数が多くなる。

 スグに壊れてしまいそうなザル。
 定食やのトイレに飾ってあるようなバラの造花一輪。
 輪ゴムの束。
 タコとキティちゃんを足したようなキャラクターの書いてある折り紙セット。

 とにかく限りなく不要なもの、せこいもの、ハッキリ言って失礼なもの目指して購入。
 そして危険(相手が怒りださないように)を避けるために、手渡しでなく郵送でプレゼントフォーマイフレンド。
 100円+送料。

 私は人のいやがることをするのが大スキなので、プレゼントも極力それを心掛けるようにしている。
 思い出に残るのはなんと言っても高校時代。陸上部合宿最後の夜のプレゼント大会。

   誰に当たるかわからない、音楽をかけてみんなで輪になってプレゼントを回していくというアレ。

 一人500円という限定だった。
 私のは大きな大きな段ボール。みんなでまわすのに、とても迷惑な大モノだ。
 コレが当たったのは、一学年上の鳥越部長。ちょっと『堀ちえみ』に似た、いつも笑っているような顔つきの小さな先輩だった。

 彼女はこの箱を開けた瞬間、さすが短距離選手、 部屋の片隅に行ったのが早かったか、
「きゃああああああああ〜」
と叫んだのが早かったのか。

 箱の中味は大きなキャベツ。
 そして葉のすき間から、グロテスクな青虫が顔をのぞかせていた。

 偽物だが、ひとさし指程度の太さでいかにもリアル。指でグニュと触ってみなければ、本物かどうか見分けがつかないシロモノだ。

 私はこのダンボールの中に、本物のチョウチョを入れておきたかったのだが、採集するには時間がなかった。

 鳥越先輩は真っ青な顔でブルブルふるえていっさい箱に近づこうとしない。
「ニセモノだよ〜」
と言っても私がフタを閉じるまで、部屋の隅から一歩も動かなかった。

 彼女が異常な青虫ギライだということを私は知らなかったが、それにしてもあの怖がりようは尋常ではなかった。ぜんぜんビビらないのもそれなりにつまらないと思うが、あそこまで怖がられると、逆に
「チェっ、なんだよ」
と言う気分になる。
 結局私はそれを持ち帰ることになってしまった。仕方ないので電車の中でわざとポケットから出したりして回りの人の反応を楽しんでウサバラシをするほかなかった。

 そんなことをしながら私は
「鳥越先輩の前世は、青虫をついばむ鳥ではなくて、青虫に食べられてばかりいたキャベツではないだろうか。きっとそうだ、そうに違いない」
と確信したのを思い出す。

 そういえばあのあと、家に帰って炊飯器の中に入れておいたら、フタを開けたオカンはビビる様子もなく
「アソビーッ!」
と叫び、私の方がビビってしまった。
「こんなもの入れておいたら、ゴムが溶けて御飯が食べられなくなるじゃないのっ!まったくいい歳こいてバカなマネするんじゃないのっ!」
と怒りだした。
 彼女はいまだに、この最後のフレーズをよく言うが、考えてみればいまだに言われる私もどうかと思う。




ヘンタイくんの普通の日常

私たちはいつも走っていた。走って走って走りまくって途中でスッ転んだり、ゲロ吐いたり、それでもひたすら走りまくって途中でタバコ吸ったり、休憩してポカリのかわりにビールを飲んで水分補給したりしてまた走っていた。
とにかくひたすら走っていたのである。
そりゃそーだ、陸上部なんだから。部則も何も守らない、校内でも陸上界でも異端児的ハチャメチャクラブではあったがそれなりに実力はあった。

筋肉を冷やさないために夏でもけっこう厚着をする。
しかしたま〜に脱ぐ。脱いだらスゴイ。女子高生の生脚、しかも日頃から鍛えぬかれたウツクシイ脚線美を惜しげもなくあらわにするのだ。パッツンパッツンのブルマー姿で。
2時間半のトレーニングでほんの10分くらいしか出さないその生脚を目当てに危なげな男の子達がウロウロしたりするのだが、その中でも皆勤賞を受賞したのは通称『露出くん』であった。
露出くんは、グランドの廻りの草むら、A,B,C地点のどこかに必ず出没して、だいたい体育座りをしていた。
ただのマニアなファンだと思っていたのだが、ある時、誰かが気が付いた。
「ねえ、あの男の子さあ、出してない?」
「え?」
何食わぬ顔をして、ご自慢(……かどうかは知らないが)のイチモツをチャッカリ風に当てて虫干しをしているのである。しかもそのうららかな風景とは裏腹にソコだけがやけにいきり立っているのであった。
「うええ〜立ってるよ〜ガンガンだよ〜」
私たちの一週間に及ぶ検証の結果、彼はズボンのすき間からイチモツを露出するとき意外はソレに手を触れない。つまり、見ているだけでおっ立たせていたのである。生脚をオカズに、想像力と股間をさらに膨らませて。

週に1回、合同練習で原宿にも行っていたがそこにも露出魔はいた。原宿の露出魔はオヤジが多く、木陰に隠れてシコシコとやっていた。私たちが追いかけると、だいたいは物凄い形相で慌ててブツをしまいながら、あるいはぶら下げながら逃げ出すのだ。それが面白かった。

そして私たちは、露出くんにもこの作戦を試みた。
いつものように走るふりをしてスタート地点(上図参照)からB地点にいる露出くん目掛けて猛ダッシュ。一斉に走って彼を取り囲んだ。しかし露出くんは逃げるどころか平然としてるのである。
「ねえ、なにやってんの?」
「何歳?」
「どこの学校?」
「彼女いないの?」
「なんで立つの?」
「放出はしないの?」
「こんなことやってて面白い?」
私たちは次々に質問した。
「ちょっとそのちんちん、よく見せて」
と言ったのはほっかぶりをしたコレステロール伊藤先生。
淡々と答える露出くん。
私たちは拍子抜けしてしまった。
彼はこの行為を、「ボクの日課」と言いきった。
この人はフツーの人で、フツーの事をしているように思えてきたから不思議だ。

そして私たちは、あの走りまくっていた風景を思いだすとき、必ずそばにポコ○ンを出した男の子をセットで思いだすのだ。あたりまえのように。


HOMEDIARYTEXT