ちょっと待てこれが男だ2

花沖 龍太郎




今日はやけに電車が空いている。……と思ったらあれだ、今日は土曜日だ。何ごとにも真摯な態度で取り組む俺は、仕事も勿論例外ではない。土曜といえどもやるときゃやるぜ!それが男というもの だ。
 電車に乗るのはむしろ好きなほうだ。たとえ満員電車でも、だ。
 地球環境問題に対して真剣に取り込んでいる俺としては、ソーラーカー以外は乗らないようにしている。と言ってもソーラーカーは乗ったことも見たこともない。そんなことはどうでもいい。
 以前は運転もしてみたが、そのうちある二つの疑問を感じ始めた。  一つは言うまでもなく環境問題。もう一つは
「車は人を悪魔に変える」
と言うことだ。
 温厚な俺としては、車がそれほど人を苛つかせるものとも思えないのだが、とにかく庶民平民の変貌ぶりは凄まじいものがある。
 右に曲がれば
「何やってんのよ!急に曲がらないでよっばか!」
とおばちゃんに怒鳴られ、左に曲がれば対抗車線のきれいな姉ちゃんが金切り声で何事か叫ぶし、トラックの運ちゃんが車から降りて追いかけて来たときは、さすがの俺も最高速度の40キロで逃げてしまった。腕には自信はあるが、オレは喧嘩をすると相手を病院送りにしてしまうはずだから、よほどのことがないかぎり控えているのだ。相手には家庭もあるだろう、うむ。
 電車が好きな理由は他にもある。人と接触する喜びだ。未知の人間と会話するたび、「人生は素晴らしい!」と生きてる喜びを実感するのだ。しかし今日はあまりその気にはなれない。空いている車内は、今までの経験上からみても人間対人間の心の疎通が困難だ。その点、身動きできないほど混んでる電車はいい。相手が恥ずかしがって、あるいは俺の男らしさに恐れおののいて他の車両に移る、と言うことが不可能な為に会話は弾んでいく。
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 どうやら俺を意識している女がいる。ん、まあいつものことだ。
 しかし……。やばいぞ。やばい。かなりやばい。おかっぱの黒髪に俺は弱いのだ。んー、だがここで恋に落ちるわけには行かない理由が俺にはある。
 由美とは別れた。確かに別れたが、俺は鈍感ではない。俺に未練があるのは痛いほどわかってるつもりだ。男として言うべきではないが、イヤむしろ、男だからこそ言おう、俺だって由美をまだ愛している。言うぞー今から言うぞー見てろー聞いてろー 愛しているぜっゆみー!
つまり今もなお心で結ばれている。と言うことは、今俺がここでフォールインラブした場合、ふたまたをかけたということになる。いったいどうすればいいのか。

 しかしまいった。おかっぱ女が俺を凝視しているのがわかる。ちらりと見ると、どぎまぎと目をそらす。待てよ、これは確か、ホットドッグプレスかなんかで読んだぞお、そうだ!これはまさに純愛の第一段階じゃないか。
 ……仕方なく、後ろ蹴りと前蹴りの練習をやめた。俺は良識ある人間だ、勿論迷惑のかかるような廻し蹴りはしてはいない。空いている車内では、釣り革を標的に蹴りの練習をすることにしているが、こんな緊急事態ではやめなければならない。これ以上おかっぱを本気にさせては心が痛む。これで諦めてくれればいいのだが……。
 仕方なく俺は、車内トレーニングの中でも比較的目立たず、みてくれの悪い片足立ちを始めた。
 うわあーあー!もうだめだ、おかっぱはさらに 100万ボルトの熱い視線を俺に向け続けているではないか。

 こんなに苦悩したのは久しぶりだ。悩みに悩んだ末、勇気を出して彼女に近づいた。  1歩、2歩……喜びのあまり体を硬直させているおかっぱの姿は、いじらしいほどいとおしい。愛を受け入れる恍惚の瞳、告白をためらう震える唇、そうだ、君がもしダンゴ虫ならば、躊躇することな く丸めてポケットにいれて今すぐ持ち帰ることが出来るのに、いや、いなごでもいい、ゲンゴロウだっていいんだ。
 ん?待てよ、ゲンゴロウの場合水が必要だからそれは避けておくか。イヤその場合、口の中にいれておくというテもあるな。あ、だまだま、間違って飲み込んでしまったらどうするんだ。それじゃあ奇人変人じゃないか。スーパージョッキーじゃないか!
まあどっちにしても俺達は不幸にも、人間として生を受けてしまった。頼む!恨むならこの運命と俺の魅力を恨んでくれ!

「すまない……おれには心で結ばれている女がいるんだ。もし、
『それでもいいの、私は日陰のおかっぱ女でいいの、いいのよ』言ってくれるのなら……」 と、こうゆう事態に備えいつも携帯しているプリクラ写真付きの名刺を差し出した瞬間、
「やだあー!なにーこの人ー!!!」
 女は疾風のように電車を降りた。よほどショックだったんだろう。
しかし故意ではないとはいえ、罪もない女をこれほど傷つけてしまうとは。これからは人の気を引くような車内トレーニングは控えるつもりだ。それがせめてもの罪滅ぼしというものだろう。俺を一生の男、などと心に誓わなければいいんだが……。一日も早く立ち直ってくれ、そして、いい恋をしろよ、おかっぱ女。

 今日は少しばかりブルーな気分。俺としたことが、朝からこんなのではいかん。
 ちょうど車内も空いていることだし、うっぷんを晴らす為に反復横飛びでもして気を紛らすことにしよう。

それっ!

         

つづき
Illustration nakki





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